公開: 2023年4月1日
更新: 2023年4月23日
ヨーロッパ諸国でも、日本でも、中世の社会では、王や国王、貴族、市民。そして奴隷など、人々は、親が属していた特定の階級に属していました。日本でも、天皇家の人々、天皇に仕えていた貴族の家系の人々、武士や農民など、社会を支える仕事に就いていた人々、そして社会の底辺で、誰かがやらなければならない仕事に従事していた、戸籍にのらない人々に分かれていました。また、国家の枠に組み込まれていなかった、日本ではアイヌのような人々もいました。
明治以後の日本でも、第2次世界大戦に負けるまでの日本の社会では、皇族、華族、士族、平民、非差別民に分けられていました。これらの区別を、「身分」と呼んでいました。ところで、平民に区分された人々のほとんどは、農業に従事している人々でした。士族は、江戸時代まで、武士の階級に属していた人々の子孫でした。ヨーロッパの社会では、貴族は国王から領土を与えられ、領土を管理する人々で、領主でした。市民の多くは農民で、領主から土地を借りて、農業に従事し、作物を育てて、収穫した作物の一部を領主に、税として納入しました。
ヨーロッパの社会では、市民である農民の下には、農奴と呼ばれる人々がいて、農業の仕事の一部分を分担していました。さらに、それ以外にも、流浪の民がいました。流浪の民は、外国から逃げてきた人々とその子孫で、その一部の人々は、ユダヤ教を信じていたユダヤ人で、商業や金融業などに従事していました。財産を保有できた人々は、貴族階級までで、市民には、財産を保有したり、蓄積することはほとんどできませんでした。その理由は、社会の制度にもありましたが、知識を得る機会がなかったからだとも考えられています。ユダヤの人々の中には、高利貸しで蓄財した人々もいました。